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クロアチア、ボスニア内戦背景概観

anica2

Picka ti materina!  アーニツァだ。
今回はクロアチア、ボスニア内戦の背景概観だ。

これも2006年5月にすぴかが前のブログで書いたものだ。
これからの理解のため掲載する。


supika1


クロアチアとボスニアでの紛争は一部でいわれてるほど歴史があるものじゃないです。
これらの紛争の主役の一人であるセルビアとこの両国は第一次大戦後一つの国を作るまで別の文化圏でした。
セルビアは東方正教会。
クロアチアはカトリック。
中世ボスニアの場合は、異端のボゴミル派が広まっていたとの説もありますが未だに結論は出ていないみたいです。それでもかかわり的にはカトリック世界との結びつきがより強かった。
これらのスラヴ系諸民族は、東南から北に向かうブルガリア、北西から南に向かうハンガリーという2つの騎馬民族征服国家にはさまれてその影響下に入ります。ブルガリアが対ビザンツ製作に専念し、ときにビザンツに破れ衰亡するなどして余裕のあったセルビアと違い、クロアチアはハンガリーの属国に、ボスニアもハンガリーの進出にさらされます。

オスマン帝国は一時ハンガリーまでのバルカン全土(クロアチアの中心部とモンテネグロ除く)を制圧しますが、のち第二次ウィーン攻囲に失敗してハプスブルク帝国の逆侵攻を受けた結果、サヴァ川とカルパチア山脈をつなげた線、今日ではクロアチアとボスニアの境、セルビア本国とそのヴォイヴォディナ自治州との境、及びルーマニアのワラキア、モルドヴァとそれ以外の地方との境)が長い間の両者の国境になります。
このように長期間別世界にいたセルビアとクロアチアですが、オスマン朝とハプスブルク帝国支配化で今の民族分布ができます。一つはオスマン朝支配を嫌うセルビア人の集団がいくつかボスニアとクロアチアに流れそこでエスニック集団を作ったこと。特にクロアチアの場合、ハプスブルク帝国から国境防衛の任を担う代わりに居住の権利を得ます。ボスニアにおいては一部の集団がイスラム教に改宗するということが起こります。この集団はもとボゴミル派だという説、一部のカトリックと正教徒が改宗したという説がありますがここでは深くは突っ込みません。問題なのは、彼らはイスラム教徒となることによって特権階級となり、ボスニア内のキリスト教徒のクロアチア人セルビア人とは区別されるようになり、異なるエスニック集団のようになったということです。

第一次大戦までにスロヴェニア、クロアチアでは民族独立の思想が南スラヴ人大同団結の方向で発展していきます。大戦後、彼らはその構想どおり同じ南スラヴ人のセルビアと合邦して「スロヴェニア人・クロアチア人・セルビア人王国」を作ります。

しかしすぐに対立が始まります。各民族を平等に扱うべしといい連邦制を主張するクロアチア人。スロヴェニア人とクロアチア人がセルビアに擦り寄ってきて合邦したのだからセルビアが上に立つべきだとするセルビア人。この騒ぎは議会内で議員が殺される騒動にまで発展し、国王アレクサンダル1世が危機を感じて国名を「ユーゴスラヴィア王国」に改め、各民族を解体して一つの「ユーゴスラヴィア民族」というものを作り出そうとしますが結局クロアチアのテロリストに暗殺されてしまいます。

この一連の民族主義の騒乱の中でクロアチアにおいてファシスト集団の「ウスタシャ」がつくられます。第二次大戦においてユーゴ王国を征服した枢軸国側に独立させてもらったクロアチアのウスタシャ政権は、一部のダルマツィア(沿岸部)を除くクロアチア国内及びボスニア・ヘルツェゴヴィナ全土と東スレムをクロアチア領にしてもらったボスニアにおいて言語に絶するやりかたでセルビア人(及びロマ人、コミュニスト)を消していきます。その際イスラム教徒はウスタシャの手先にされました。セルビア人はそれに対抗して武装集団をつくり同じようにクロアチア人に乱妨の所業を働く。

これが、90年代に入って起こったクロアチアとボスニアでの内戦の起源です。

ボスニアの場合は補足説明が必要ですか。
ボスニアは、クロアチアからはそのクロアチア人居住区(ポサヴィナ、西ヘルツゴヴィナ)にみ関心の対象にしかならないのですが、セルビアは全土をセルビアの固有の領土として見る伝統が一部にあるのです。第一次大戦前、ボスニアを併合したオーストリア・ハンガリー帝国にセルビア民族主義者たちは激高しました。その結果が対戦の引き金になったサラエボ事件です。

伝統的なセルビアの国章には左上と右下に白い十字をはさんで四つの「C]が左右対称に入っています。これはキリル文字のC、ラテン文字でSをあらわすもので、「Samo Sloga Srbina Spasavanja(統一のみがセルビアを救う)」の頭文字をとったものです。この「統一」とはセルビア人が住む地域全ての統一です。クロアチア内戦においてユーゴ連邦軍が「クロアチアのセルビア人少数民族を保護するために」した介入のバックボーンとなったものです。一連のユーゴ内戦当時セルビアの過激民族主義者はボスニア全土、マケドニア全土、モンテネグロ全土、クロアチアのセルビア人地域全てをセルビアに統合することを目指していました。


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Author:crnaoluja
こんにちは。
東欧地域の戦略環境分析が専門のシンクタンクで研究員をしておりますチェコ出身のエリシュカ・マジャーコヴァーと申します。

ネクロマンサーのすぴか、その一味のミルチャ・アントネスクとともに東欧情勢について御説明していきたいと思います。

ハンガリー以北(V4)+バルト三国は私、南東欧がミルチャ、地政学・戦略論など理論面はすぴかが担当致します。

文責は @crnaoluja (twitter)

ミルチャのアイコン絵はあんねこ先生より頂きました。
http://a-n-neko.tumblr.com/

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