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「VMRO」について

anica1

Picka ti materina!

アーニツァだ!

前回のエントリの続き、本題に行く前に、話に出てきた「VMRO-DPMNE」について話しておくぞ。

ちなみに、マケドニア語は一部マケドニア語独自の文字があるキリル文字を使用しているため、マケドニア語表記では「ВМРО-ДПМНЕ」となる。

英語表記では「IMRO」となる。

だがここでは、ВМРО-ДПМНЕをそのままラテン文字表記にした「VMRO-DPMNE」と使用することにする。


まず「VMRO」とは何か、だ。

これは、「内部マケドニア革命機構 Внатрешно Македонска Револуционерна Организација」の略だ。

この組織は、バルカン諸国がナショナリズムに目覚め独立に向けての動きが具体化したのちの1893年に組織された。

この頃、現在のマケドニア共和国(当時はヴァルダル・マケドニア)のみではなく現ブルガリア領のピリン・マケドニア、現ギリシア領のエーゲ・マケドニアは1878年ベルリン会議でのバルカン諸国によるトルコ領分割の際一括してトルコ領として残った地域であり、

velikamakedonia
(出典、WIKI「統一マケドニア」)

ここのスラヴ系住民はまだ民族意識どころか民族名すらなかったのだ。

だが、周囲のバルカン諸国の動きに触発され、この地域のスラヴ人の、自分達のための政治運動、独立運動が芽生えた結果、VMROというものが結成された。

1903年に彼らはトルコに対し蜂起し(イリンデン蜂起)、一時は「クルシェヴォ共和国」を設立するなどしたが鎮圧された。

後、VMROはマケドニアのスラヴ人による独立組織として活動することになるが、この頃2つの潮流に分かれることになる。

一つは、ブルガリアとの統一をはかる「最高派」、

もう一つは、来るべき「バルカン連邦」の中で自治区としてのマケドニアを目指す「連邦派」に分かれた。

この組織、特にブルガリアのピリン・マケドニアに巣食う最高派のVMROの一部はテロ集団化した。

当時の分断された国境線が固定化されるのを恐れ、穏健的な外交を標榜するブルガリアの政治家などが襲われた。

ただこれは、後に述べるようにブルガリア民族の民族主義の体現の側面もあり、正確に述べるのは難しい。

さらに象徴的な事件として、第一次大戦後セルビア王国、モンテネグロ王国、旧ハプスブルク帝国領クロアチア、スロヴェニアが合邦し成立したユーゴスラヴィア王国の国王アレクサンダル(旧セルビア国王)が、

1934年、外遊先のマルセイユにおいてクロアチア民族主義集団のウスタシャに暗殺されたが、

下手人はウスタシャに雇われたVMROの鉄砲玉だった。

こうした動きは、第二次大戦とその後のユーゴ、ブルガリアの共産化によりVMRO要員が亡命するなどして彼らの動きは下火になった。

そして、冷戦崩壊後のマケドニア共和国独立。

この際、クロアチアでそうであったように亡命していたVMROなどの構成員が戻ってくるなどした。


だが、ここで、第二次大戦前とは状況が全く異なることになっていた。

社会主義ユーゴの枠内で、かつてセルビアが獲得してそのままユーゴ領となっていたヴァルダル・マケドニアがマケドニア共和国として、そしてスラヴ系住民が「マケドニア人」という名前を与えられて冷戦崩壊まで過ごしたため、

はじめて「マケドニア人」という独立した民族意識が形成されていたことだ。

よって、独立後に成立したVMRO-DPMNEは、「マケドニア人」のための民族主義政党として誕生したものだ。

VMRO-DPMNEはマケドニア議会内で長いこと第一党の座を占めている。

それはかつての「連邦派」でも「独立派」でもない。

現在の穏健化したVMRO-DPMNEはこれは標榜していないようだが(現在の綱領を読んだが確認できなかった)

かつてはギリシア領エーゲ・マケドニア、ブルガリア領ピリン・マケドニアの統一を標榜していたものだ。


私がなぜVMRO-DPMNEのDPMNEを今まで日本語訳しなかった理由はここにある。

WIKIなどでは、DPMNE(Демократска Партија за Македонско Национално Единство)を「マケドニア国家統一民主党」と訳している。

だが、Националноには、「国家」以外に「民族」という意味もあるのだ。

このために、私は「DPMNE」をどう訳したらいいか、かなり迷ってしまうのだ。


そして、もっと混乱するのが、このVMROがブルガリアにもあるということだ。

ブリガリアでは、ブルガリア人の民族主義政党として存在している。

VMRO-BND(ВМРО - Българско национално движение、内部マケドニア革命機構ーブルガリア国民(民族)運動」だ。

ブルガリアから見れば、これがブルガリア人の政党であろうがマケドニア人の政党であろうが変りは無い。

なぜなら、

ブルガリアでは公にも個人レベルでも、「マケドニア人」はブルガリア人であり、「マケドニア語」はブルガリア語であると主張し、またそう信じて疑わない。

「マケドニア語」については、2001年の両国の首脳会談により、ブルガリアは「マケドニア語」を「マケドニア共和国憲法において公用語とされる言語」としてのみ認める、という合意がなされた。


ちなみに、現在のマケドニアにとって、最も関係の深い(友好的な)隣人はブルガリアであると思われる。

共産党支配の中、その前で軍事パレードが行われた、ブルガリアの首都ソフィアにおけるゲオルギ・ディミトロフ廟が、冷戦崩壊後遺体が撤去され建造物も撤去される直前まで、

大きく「ВМРО」のスプレー書きがしてあるのが印象的だった。


現在、VMRO-DPMNEはかなり穏健化し、少数民族の権利保護などリベラルな面を見せている。


今日はここまでだ。

それでは、

Laku noc i Do vidjenja!
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crnaoluja

Author:crnaoluja
こんにちは。
東欧地域の戦略環境分析が専門のシンクタンクで研究員をしておりますチェコ出身のエリシュカ・マジャーコヴァーと申します。

ネクロマンサーのすぴか、その一味のミルチャ・アントネスクとともに東欧情勢について御説明していきたいと思います。

ハンガリー以北(V4)+バルト三国は私、南東欧がミルチャ、地政学・戦略論など理論面はすぴかが担当致します。

文責は @crnaoluja (twitter)

ミルチャのアイコン絵はあんねこ先生より頂きました。
http://a-n-neko.tumblr.com/

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