スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ウマロフ犯行声明(ドモジェドヴォ空港のテロ)

supika2

どうも、すぴかです。

私が出るということで、今回は久々の北コーカサス情勢です。

さて、これはちとすぐには判断できないニュースが入ってきました。

露空港テロで犯行声明 「カフカス首長国」のウマロフ容疑者

1月24日のロシア、ドモジェドヴォ空港の爆破事件の犯行声明です。

これについて腑に落ちない点が3つ。

・なぜ犯行声明までこれほど時間がかかったのか?
・最初にロシア当局が目をつけていたのは「ノガイ大隊」ではないのか?
・これは技術的な要因かもしれませんが、なぜカフカスセンターやアルカフカスのHPに犯行声明についての記事がないのか?

まず、最初に疑われたノガイ大隊について。

「ノガイ」というのは多民族国家であるロシアのダゲスタン共和国を構成する民族の一つ。2002年の国勢調査では全体の1.8%と占め、ダゲスタンの平野部に住む民族です。

ダゲスタンの過激派と聞いてまず頭に浮かんだのは1999年、チェチェンのバサーエフの「部隊」のダゲスタン侵攻に呼応して破壊活動を行った一派かとも思ったのですが違うようです。

北コーカサス諸共和国に囲まれるように北に位置するスタヴロポリ地方を含めて活動している組織です。


今回はウマロフが直接ビデオで声明を出していること、実行犯についても詳細に「報告」していること、その実行犯のDNAと犯行現場の遺体のそれが一致したとの報告があることから「コーカサス首長国」の犯行としていいと思います。

しかしすぐに犯行声明を出さなかったのは何故か。組織内部、あるいは組織同士のなんらかの意見の相違のようなものがあったのか。

通常は声明が出されればすぐに彼らの御用サイトのカフカスセンターに載るんですがそれがないというのも…(ちなみに英語版とロシア語版を確認しました。

ちと解明するのに時間が必要です。


ちなみに、ウマロフの「コーカサス首長国」と「ノガイ大隊」との関係について考察してみます。

私は直接調査したわけではないので断定はできないのですが、北コーカサスの過激派の諸派の今までの活動ぶりを見ると恐らくコーカサス首長国とは別組織、仮に繋がりがあっても傘下にいる程度だと思います。

チェチェン紛争の際にゲリラの各派は、最終目的は一つでそのための形式上のまとまりはあったにしても、ひとつの指揮系統の元に活動を行っていたわけではありませんでした。


まとめです。

今回の事件は、今までのいきさつを見れば「コーカサス首長国」の犯行と見ていいでしょう。

しかし、最初に当局が「ノガイ大隊」などと誤認したということはそれだけ当局でも特定が困難であるほど諸派が錯綜している状態になっていると言っていいのでは無いでしょうか。

「コーカサス首長国」は少なくとも名目上は特定の民族に依拠しないワッハービストです。

しかし、多民族でしかも氏族社会である北コーカサスでは、チェチェン紛争時にチェチェン国内でさえ様々な派閥があったように、民族、氏族等に依拠した様々な諸派が存在し、または生起し、または消滅し、複雑極まる状況になっている可能性があります。



…まとめのあとにまた書くのもどうかと思うのですが、上記の内容に関係ないことでは無いので少々書いておきます。

前のブログの2005年10月において北コーカサスのカバルダ・バルカル共和国の首都ナルチクにおいて、地元のイスラム過激派集団「ヤルムク」が内務省などの建物を襲撃した事件について書きました。

そのカバルダ・バルカル共和国でテロの発生回数が増えています。

2003年3月ヤルムクのリーダーにエミール・アブドゥッラー(アスケル・ジャップエフ)が就任してから、行動をテロにのみ絞り、頻繁に銃撃・爆弾テロ事件を起こしています。

もともとヤルムクは少数派のバルカル人(2002年の国勢調査で全体の11.6%)が設立した組織(最初の30名程度のメンバーはグルジア領内のチェチェンゲリラの「巣」であったパンキシ渓谷でチェチェンの「野戦司令官」の一人ゲラーエフより訓練を受けています)ですが、現在多数派のカバルダ人も多数参加し、これが民族対立の要因になるとは今のところ考えられません。

しかし活動は非常に活発化しており、北コーカサス全体を俯瞰してみると状況は悪化していると言っていいでしょう。



はい、今日はここまでです。お疲れ様でした。

次はアーニツァにバルカン情勢について語ってもらいます。
スポンサーサイト

ダゲスタンについて。

anica1

Picka ti materina! アーニツァだ。
ダゲスタンについての説明もついでにこっちに移しておく。
すぴかが2006年8月に書いたものだ。

supika1


どうもすぴかです。
まず、民族構成。

当然ながら居るロシア人、またチェチェン人、アゼリー人などダゲスタン固有の(というのも変ですが)民族でないものを除くと、

コーカサス語系:ダルギン人、アヴァール人、ラク人、レズギン人、アグル人、ルトゥル人、タバサラン人、ツァフル人、

トルコ語系:ノガイ人、クムイク人

ちなみにコーカサス語系民族は、3つに分けられるコーカサス諸語のうちナヒ・ダゲスタン語群に分類されます。

今回はこのロシア連邦を構成する共和国の不安定要因を説明します。

まず、内部要因から。
この共和国はチェチェンとカスピ海に囲まれたグルジアより一回り小さいくらいの地域なのですが、カスピ海沿岸にある首都マハチカラ(ちょうど共和国の真ん中へんにあります)を境に山岳地帯と低地地帯に分かれる。もともと「ダゲスタン」というのはトルコ語の山を意味する「dag」から来ているのですが、現在の行政区であるダゲスタン共和国は半分は低地地方です。

で、低地地方の住民(ノガイ人、クムイク人など)と山岳地方の住民との対立がある。さらに、共和国内の政治の主導権や、ソ連崩壊及びそれにともなう諸情勢により発生した難民など住民の移動問題などで各民族間はギクシャクしているところがあります。チェチェン紛争が始まって以来チェチェンーダゲスタン国境が危なくなって以来ダルギン人に自衛のための武装集団の創設を認めて以来ダゲスタンの主な民族は各々の武装組織を持つようになった。また、既存のイスラム教組織の体制翼賛的傾向や腐敗などが原因でワッハービズムが南部、つまり山岳地帯の諸民族に浸透し、北コーカサスでのワッハービズムの「巣」になっている。

外部要因としては、チェチェンの過激イスラム寄りの武装集団による動き。並びにダゲスタン内のチェチェン人マイノリティーが原因の軋轢。1997年のチェチェンと他の北コーカサスの似たような団体の集会において、彼等の政治的目標は19世紀のカフカス戦争においてこの地に成立していた神権国家の復活とその領域の統合。当時指導者シャミルが統治した領域の統合です。つまり現在のチェチェンとダゲスタンの統合。

ただ、この集会において指導的役割をになった当時のチェチェン第一副首相のウドゥゴフによりダゲスタンのチェチェン人マイノリティーのチェチェンへの統合を目指すことが決定されます。この問題は、北オセチアのプリゴロドヌイ地区での紛争の原因と同様、1944年のチェチェン人の中央アジアへの強制追放以後、もとのチェチェン人居住区に住み着いたダゲスタン諸民族と名誉回復語戻ってきたチェチェン人との間で軋轢を生じさせているものです。この問題はダゲスタンとの「統合」の障害となるに十分なものです。

ここで注意しなければならないのは、ダゲスタンのワッハービストは基本的にダゲスタンのイスラム神権国家化を目指しているにすぎず、チェチェンとの統合を目指しているのは一部にすぎないということです。

あとは、もう沈静化したようですが、ソ連崩壊後「分断された」レズギン人の問題。ダゲスタンとアゼルバイジャンにまたがって分布していたレズギン人にはアゼルバイジャン独立で分断されたレズギン民族を統合して独立国家にしようとする動きがあり、ダゲスタン内で90年代にテロ活動を行っていました。

ここを理解するのに最も障害となるのはやはりチェチェンとの関係でしょうな。1999年にダゲスタン内の過激派と共謀してのチェチェンゲリラのダゲスタン侵攻等チェチェンとダゲスタンを同一視してしまいそうになる情勢のせいですが。しかし、ダゲスタンのイスラム過激派とチェチェンのそれとは目指すものが全然別のものだと考えて良いでしょう。

ちなみに、チェチェンのイスラム過激派がもくろむ「シャミルにより統治された地の復活」ですが、この「シャミル」というのはチェチェン人でなくアヴァール人だったというのも皮肉な話です。

北コーカサス問題、歴史概観1

anica3

Picka ti materina! アーニツァだ。
これは2007年12月にミルチャが書いた北コーカサスについてだ。
なんと書きかけだ!
ミルチャにはちゃんと最後まで書くよう言っておく。

mircea

今回は、チェチェン紛争を語る上で、背景の一つとして頭に入れておいたほうが良いと思われる、1816から1859にわたって行われた、帝政ロシアと現在のチェチェン、ダゲスタンにまたがるイスラム神権国家との「カフカス戦争」までをさらっと書いておきたいと思います。

このへんを調べているうちに思ったのは、チェチェン紛争に直接関係しなくても、歴史を語るときにどうしても触れざるを得ない、南コーカサス、北西コーカサスをどうするかという問題です。

このブログでは現在の紛争、地政戦略がテーマなので細かい歴史的なことがらは極力省きたいと思っています。南コーカサスは歴史が長くかつ複雑なので、これに拘泥していると不必要にエントリが長くなってしまいます。


そのため、南コーカサスについては必要最低限のさらに最低限についてしか書かないことにします。

そして北西コーカサス。

はっきり言ってチェルケス人のディアスポラと、彼らの一部に存在する帰還運動は北コーカサスの安全保障問題にそれほど影響するとは思えないのですが、帝政ロシアの北コーカサス征服事業を語る上でどうしても触れないわけにはいかないので、これも必要最低限について書いておきます。

というわけで、今日は古代からカフカス戦争までの長い歴史をさらっと流すだけにとどめます。

まず、地政学的説明。

ちなみに、この「地政学」というものについていつか特集を組んで書いてみたいと思います。この学問領域はかなり曖昧で、他の人の書いたものを読んでいると、人文地理学の学問領域のことを地政学と思っていたりすることがあります。まあ、曖昧な状況を私一人がどうできるわけでもなく、ここでは私個人の見解を書くことにしかならないですが。

さて、コーカサス。

一口にコーカサスといいますが、これは大コーカサス山脈の北と南は別のものとして理解して良いと思われます。

メソポタミアに近い地理上の理由から、南コーカサスではかなり早くから文明が発達しアルメニア、グルジアなどの国家建設が行われた。

対して北コーカサスでは、山岳地帯でも平野部でも、ロシア帝国に併合されるまでついに部族の雑多な集団以上のモノ(北東コーカサスの19世紀の神権国家は別として)は生まれなかった。

南コーカサスは、アケメネス朝などイラン高原と小アジアを同時に支配する勢力が存在しない期間は、常に、それぞれ小アジア、イラン高原に拠点を持つ勢力の角逐の場となりました。具体的には、後にトルコ化する南東コーカサス(大体現在のアゼルバイジャンとグルジアの東部)はイラン高原の勢力下に、南西部(グルジア西部とアルメニア)は小アジアの勢力下にあり、それぞれおのおのキリスト教文化を守りつつも支配勢力の文化的影響を受けてきました。もちろん独立していた時期もありますが。

対して北コーカサスは、南ロシアの平原に拠点を持つ遊牧勢力の影響下にあったことが多い。ここはのちにオスマン朝の間接的直接的影響でイスラム化するまで独自の宗教を持つ部族集団と集まりでした。

概ね、北西コーカサスはコーカサス語族アブハゾ・アディゲ語群のチェルケス人、北東コーカサスはコーカサス語族ナヒ・ダゲスタン語族の雑多な山岳民(チェチェンなど)が分布していました。

さて、16世紀になると、黒海北岸と中央アジアの勢力を圧迫しつつ帝政ロシアの勢力が南下してきます。

コーカサスへの本格的進出は、18世紀に入ってから本格化します。

クリム汗国に止めを刺して黒海北岸を手中にしたロシアは、コーカサス方面でのオスマン朝の影響力を排除し、またインド方面との交易路を確保するなどの理由でコーカサスに向け南下してきます。

ここで大コーカサス山脈の北と南とでは事情とその後の成り行きが大きく違いました。すなわち、長い間オスマン朝とイランのサファビー朝というイスラム勢力の支配下にあり、自ら庇護を求めてきたキリスト教国グルジアなど、影響下に置くことが比較的容易だった南コーカサスに比して、北コーカサスでは激しい抵抗にあいました。影響下にある南コーカサスに行くのに、未だ影響下に無い危険な北コーカサスを通らなければならないという奇妙な状況下にロシアは置かれました。

北西コーカサスのチェルケス人、北東コーカサスの山岳民に対し、ロシア軍による苛烈な攻撃が開始されます。

オスマン朝や、ロシアの勢力拡大を望まない英国などにより扇動されたチェルケス人は、断続的な長い戦いの過程で、ロシア側の拠点を築きコサック集団を移住させるという戦術に締め上げられ、またジェノサイドをともなった苛烈な攻撃により、諸部族が統一できないまま確固撃破され、殺害されたり難民化したり、また1864年の「大追放」による150万人のトルコへの強制移住のようなロシアの政策により、現在のロシア連邦国内のチェルケス人人口はかなり少ないものとなっています。北コーカサスのアディゲ共和国、カラチャイ・チェルケス共和国、カバルダ・バルカル共和国のアディゲ人、カバルダ人がそれにあたります。(カラチャイ・チェルケス共和国のチェルケス人は、アディゲ人とカバルダ人の一部からそれぞれ移住させて作ったもの)

さて、このチェルケス人の戦争が終る直前に、北西コーカサスでの山岳民による戦争が終結しています。

この1816から1859にわたって行われた「カフカス戦争」については、次回。

プロフィール

crnaoluja

Author:crnaoluja
こんにちは。
東欧地域の戦略環境分析が専門のシンクタンクで研究員をしておりますチェコ出身のエリシュカ・マジャーコヴァーと申します。

ネクロマンサーのすぴか、その一味のミルチャ・アントネスクとともに東欧情勢について御説明していきたいと思います。

ハンガリー以北(V4)+バルト三国は私、南東欧がミルチャ、地政学・戦略論など理論面はすぴかが担当致します。

文責は @crnaoluja (twitter)

ミルチャのアイコン絵はあんねこ先生より頂きました。
http://a-n-neko.tumblr.com/

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。