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クロアチア・セルビア関係悪化、再燃

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Bună seara.
ミルチャです。

ここ最近セルビア・クロアチア関係が悪化しています。

発端は、第二次大戦時のウスタシャ政権下でザグレブ大司教であったアロイジエ・ステピナッツの名誉回復です。

ステピナッツは社会主義ユーゴでは戦犯扱いでしたが、1998年に当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がザグレブを訪れ、ステピナッツを列福しています。

7月22日、ザグレブ州裁判所の決定で法的にも名誉回復がなされました。

このことについてセルビア政府は抗議の書簡をクロアチアに送りましたが、クロアチア側もこのような問題で地域の安定を損なうことは不適切であるという抗議の書簡を逆にセルビアに送りました。この書簡はどちらも「欧州に価値観に照らして」相手を抗議しているのが印象的です。

この件はこれだけに留まりませんでした。クロアチア内戦時、激戦地だった東スラヴォニア地方におけるクロアチア側の指揮官ブラニミル・グラーヴァシュは戦犯として起訴されザグレブ州裁判所、クロアチア最高裁で懲役刑になってましたが、クロアチア憲法裁判所はこの決定を覆したため最高裁で再審となっていました。そして無罪の評決が出たためこれについてもセルビア側が抗議。
http://www.b92.net/eng/news/region.php?yyyy=2016&mm=07&dd=29&nav_id=98760
http://www.balkaninsight.com/en/article/croatian-general-glavas-s-war-crimes-retrial-opens-06-02-2016

話はこれで終わりません。7月31日に、社会主義ユーゴ時代在スウェーデンのユーゴ大使を暗殺したミロ・バレシッチの記念碑の除幕式がクロアチアで行われました。

バレシッチは戦後生まれなのですが、クロアチア民族主義者の立場から兵役を拒否したかどでゴーリ島にあった政治犯収容所に入れられます。彼は刑期終了後国を出てクロアチア民族レジスタンス(HNO)に身を投じます。HNOはウスタシャ関係者も参加しているクロアチア民族主義者の組織でテロ活動などを行っていました。バレシッチはスウェーデンで、彼が政治犯収容所に収容されていたときの所長であった当時のユーゴ大使を1971年に暗殺します。そのかどでスウェーデンで服役し、その後HNOのメンバーが90年代前半のクロアチア独立戦争参加のために帰国したのとともにクロアチア入りし、内戦の最中死亡します。

これについてセルビアのステファノヴィッチ内相は、「冷静かつ理性的に語るのは難しい」と自分の激怒の心境を述べています。
http://www.b92.net/eng/news/politics.php?yyyy=2016&mm=08&dd=01&nav_id=98772

さらに、と続きがあります。この除幕式にクロアチアのハサンベゴヴィッチ文化相など二人の閣僚が参加しました。ハサンベゴヴィッチ文化省は以前から若いころのウスタシャシンパぶりを報道されて話題になっていた人物です。

セルビア政府がクロアチア大使にこの2件について抗議の書簡を手渡そうとしましたが、クロアチア大使は受け取りを拒否しました。
http://inserbia.info/today/2016/08/serbia-sends-two-new-protest-notes-to-croatia-ambassador-refused-to-accept-them/

これにさらに火を注いだのが、8月4日の嵐作戦記念日です。嵐(オルーヤ)作戦はクロアチア内戦当時セルビア人によって建設されたクニンスカ・クライナ共和国をクロアチア政府軍が妥当して内戦を終結させた戦いです。この戦いは実質的に民族浄化であり、指揮官のアンテ・ゴトヴィナ将軍はハーグに起訴されましたが無罪放免となって帰国しています。
これについては以前のエントリをご参照ください。http://crnogorac.blog117.fc2.com/blog-entry-133.html

この記念日に、クニンスカ・クライナ共和国の首都であったクニンでセルビア国旗を焼く、ウスタシャの合言葉を叫んだりウスタシャの党歌を放歌する行進が行われるなどが行われました。
リンク先に動画があります。
http://mondo.rs/a927246/Info/Ex-Yu/Ustase-u-Kninu-pale-srpsku-zastavu.html
http://www.blic.rs/vesti/politika/novi-skandal-u-kninu-marsirali-gradom-u-ustaskim-uniformama-uz-nacisticke-pozdrave/l41h368

グラーヴァシュ以外の「戦犯」は社会主義ユーゴ下で断罪されたものであり、社会主義ユーゴから脱して独立したクロアチアでは民族解放のための闘士として見なされています。

それはセルビアでも言えることで、去年チェトニクの指揮官だったドラジャ・ミハイロヴィッチ(消極的だったうえにティトーとの戦いを優先して敵のはずの独軍と共闘するなどしていましたが)の名誉回復が行われ、また独軍占領下の傀儡政権の長であったネディッチの名誉回復を求める動き(これがなぜなされるのか正直私にもわかりません)があります。

バルカン人特有の被害者意識と独におけるナチスを絶対悪とするポリティカルコレクトネスと同様のものがないという条件が合わさって、今後も両国ではこうした動きとそれに対する反発の繰り返しが起きるものと思われます。

セルビアのダチッチ外相は「なぜ欧州諸国は黙っているのか」「クロアチアのように振る舞うことがEU加盟の条件であれば、我々はそんなことは望まない」と欧州への怒りを表明しており、今後セルビアのEU加盟への熱意が低下する可能性があります。嵐作戦に西側諸国からの多大な援助があったように西側にはクロアチアには甘い傾向があります。
http://www.b92.net/eng/news/politics.php?yyyy=2016&mm=08&dd=02&nav_id=98797

こうした中、珍事がありました。

クロアチアの島で嵐作戦記念日にチェトニクの旗を立てたとして観光客が逮捕。逮捕されたスイス人男性は「これは海賊旗で、息子がパイレーツオブカリビアンが好きなので建ててやったもの」と主張。
http://www.balkaninsight.com/en/article/croatian-nationalists-mix-pirates-with-chetniks-08-09-2016

写真の旗に「自由か死か」の文言が入っていないので、この件は無罪と思われます。


今回はこんなところでしょうか。

Noapte bună. La revedere. 

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管理人への執筆依頼などはこちらの連絡先でお受けいたしております。 http://seeuro.com/?page_id=10
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コソヴォ・デチャ二修道院襲撃未遂事件、その他

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Dobry vecer!

エリシュカです。


今回はニュースを3つ紹介したいと思います。


まず、コソヴォのセルビア正教会デチャ二修道院襲撃未遂事件から。

この修道院は世界遺産認定されているのですが、頻繁に攻撃されているところから危険遺産のリストに加えられています。


1月30日、デチャ二修道院の前で、AK-47や拳銃、弾薬で武装した4人組が警察に逮捕されました。
http://www.balkaninsight.com/en/article/terror-incidents-distress-kosovo-mosques-and-monasteries-02-01-2016

逮捕はされたものの、修道院のサヴァ院長は警察はこの件をテロと関係づけていない点を非難した上で、頼れるのはNATOの駐留軍KFORのみだとしています。

以前お書きしたように、コソヴォ国内はブリュッセル合意で決定したセルビア人自治体の設立をめぐって議会内での紛糾や首都プリシュティナ市内での大規模抗議行動が行われ、さらにハーグでコソヴォ紛争でのコソヴォ解放軍(KLA)の戦犯法廷が開始されることでさらに民族主義的憤懣が高まるものと予想されます。

こうした状態にセルビア本国政府は苛立ちを示しつつも、先日のデモでデモ隊がセルビア正教会の建物をトイレとして使用した件について非難はしつつも外交問題には発展させませんでした。

この状態で、仮にこの襲撃事件が実行され多数の死傷者を出す事態になっていれば、コソヴォ政府の対応如何では両国関係に深刻なダメージを与えていた可能性があります。

今後もこうした事件が起こる可能性は否定できず、予断を許しません。


次のニュース。

ブルガリアのタネフ教育・科学相が教育課程でのオスマン朝時代についての記述を「複数の宗教・民族の共存状態」と変更しようとしたことで、国内が紛糾しました。

結果、ボリソフ首相がタネフに辞任を要求。後任が決定される予定です。

この件では各地で抗議デモが行われました。
http://www.novinite.com/articles/172877/Hundreds+Protest+in+Bulgaria+over+Proposed+Drafts+of+School+Education?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

ブルガリアでは独立の契機となった4月蜂起の記憶のフィルターが強すぎるのではないでしょうか。

手違いもあって蜂起に失敗し、その後のオスマン朝の見せしめ的な残虐行為は欧州世論を刺激しロシアが対土開戦の口実にできたほどでした。

ブルガリアの観光資源は修道院と古い町並みで特に中部のコプリフシティッツァが有名ですが、ここは同時に4月蜂起の中心となったという歴史的いわくがあって、当時はオスマン朝当局が死体の埋葬を禁じたため街中に惨殺死体があふれる情景だったとか。

また、4月蜂起に動員されたオスマン朝鎮圧部隊はバルカンのムスリム(ポマクなど)などで構成されていましたし、異なる民族・宗教で共存していたというのもちと言いすぎかとも思います。現代の民族共存を推進したいリベラル派の政治的な意図が前に出過ぎたのでしょうか。

私は専攻が国際関係学ですし、またオスマン語が読めないので自分で直接オスマン朝支配下の歴史を調べられるわけでなく他の学者の方々の研究に頼る状態なのですが、オスマン朝時代は地獄という言説とオスマン朝時代は共存の時代という二つの極端な言説の双方から距離を置くスタンスにとりあえず身を置いています。


最後のニュースです。

モンテネグロで新たに世論調査が行われ、現在NATOに対する抗議デモが行われているものの、調査結果はNATO加盟に賛成という結果が出ました。
http://www.cdm.me/english/growing-support-473-percent-of-citizens-support-nato-membership

この傾向が続くのであれば、たとえNATO加盟をイシューとする国民投票が行われたとしても大きく覆るわけではないようです。

ただこのままだとモンテネグロ社会内に亀裂が入ることが懸念されます。


今回はこんなところでしょうか。

それでは、Na shledanou!

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NATO、コソヴォ治安部隊の国軍化に反対

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Dobry vecer!

エリシュカです。


特に大きな動きはないので今回はつなぎ程度のことを。


ニコリッチがコソヴォを訪問後、トルコの国防省がコソヴォを訪問しました。

http://www.aa.com.tr/en/rss/131299--turkish-defense-minister-in-kosovo?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

このタイミングだとトルコがすでに浸透しているコソヴォを安心させようという魂胆でしょうか。

この頃すでにニコリッチは次の訪問国アゼルバイジャンに着いてますがこの件についてトルコから説明を受けていたかどうかは不明です。

ニコリッチのトルコ訪問はもちろん経済面の利益追求が大きいですがトルコが浸透しつつあるバルカンのムスリム国、地域を牽制する意図があると思われ、まさに虚虚実実です。

彼らの後ろ盾であるトルコと関係強化してしまえばある程度トルコの対外政策に影響を与える可能性があるとは思いますが、前に書いたようにもちろん諸刃の剣です。


さて、このニュース関連ですが、トルコ国防相はコソヴォが国軍を作ることに賛成しています。

これはNATOのこの見解を念頭に置いたものであると思われます。(先ほどのトルコ国防相の発言はこのニュースの中にあります)

http://www.b92.net/eng/news/politics-article.php?yyyy=2013&mm=02&dd=09&nav_id=84610

NATO加盟国のうち4カ国がコソヴォを承認していないから、というのが主な理由とされていますが、

コソヴォの防衛組織を治安部隊のみにしておくことは一見バランスオブパワーの見地からは危険かと思われます。

しかし対外政策、特に対手の観察に主観がかなりの程度入り込む精神風土をもつバルカンではバランスオブパワーも効き目に限度があるでしょう。

これはセルビアのみならずコソヴォ側にも言えることです。

私個人は、NATO軍は半永久的にコソヴォにとどまるべきであると思います。


ちなみに、これはどうでもいいニュースですが、

アルバニアの民族主義団体、米国にプレシェヴォ渓谷の領有を促す

http://www.b92.net/eng/news/region-article.php?yyyy=2013&mm=02&dd=07&nav_id=84572

ちと不勉強だったのですが、この記事によれば米国とロシアとの間でプレシェヴォ渓谷を通るルートで、おそらくヴァルダル川につなげてマケドニアを縦断しギリシアのセサロニキに至る運河の建設計画があったことです。

これについては不明な点が多く(起点はどこなのかなど)、ちと調べてみたいと思います。


ああ、すみません。このニュースがありました。

サンジャクのイスラム教徒、ウグリャニン無任所大臣の発言に反発

Islamic communities condemn minister’s statement

スレイマン・ウグリャニンはユーゴ崩壊前からサンジャクの政治的リーダーだった人物です。

サンジャクからは「ムフティ」の発言がニュースでよく聞かれるようになりましたし、ボシュニャク人は以前より宗教的になってウグリャニンのような政治的リーダーの存在感が薄くなっているのでしょうか。

このことはもう一人の政治的リーダーであるラシム・リャーイッチにも言えることなのか、調べが必要です。


それでは、Dobrou noc! Na shledanou!

テーマ : 国際政治
ジャンル : 政治・経済

プレシェヴォ渓谷の騒動

base.jpg


Dobry vecer!

エリシュカです。


お久しぶりです。

弁解の余地がないくらいに間が空いてしまって申し訳ありません。

Twitterとこちらの使い分けについて少々悩んでおりまして、しばらくあちら中心でやっていたのです。

Twitterはだいぶ前から暇つぶしでやっていたのですがだんだんと専攻中心になってきまして、こちらとの役割分担が悩みの種になっておりました。

これからは、やはりこちらを中心とすることにしましたので、以前ともどもよろしくお願いいたします。

もしTwitterのほうにご興味がおありになれば、@crnaoluja の垢でやっておりますのでどうぞ。


さて、今回はセルビア南部、コソヴォに接したアルバニア人居住区のプレシェヴォの騒動です。

事件の発端は、2012年の11月に、地元のアルバニア人がUCPMB(プレシェヴォ、メドヴェジャ、ブヤノヴァツ解放軍)のメンバーを顕彰する記念碑を建立したことに始まります。

UCPMBとは、1999年のユーゴ空爆で敗北したユーゴ政府が手を出せなかった期間にコソヴォから流出するなどして暴れていたアルバニア人ゲリラの一つです。

100歩譲ってコソヴォ内ならともかくセルビア本体で活動を行ったゲリラを顕彰する碑ですので、今年1月20日にセルビア当局によって撤去されました。

http://www.b92.net/eng/news/politics-article.php?yyyy=2013&mm=01&dd=20&nav_id=84243

ここは以前から地元アルバニア人が先鋭化している場所です。

アルバニア人は対抗して、ユーゴ空爆の際に殉職したセルビア人警官を顕彰する記念碑の撤去を求めてデモを行っています。

http://www.b92.net/eng/news/politics-article.php?yyyy=2013&mm=02&dd=01&nav_id=84467

またアルバニア人主体の地元当局もまだまだ抵抗する様子です。

http://www.b92.net/eng/news/politics-article.php?yyyy=2013&mm=02&dd=01&nav_id=84460

OSCEの少数民族問題高等弁務官が地元の当事者達と会談して「満足した」と言っていますが、何をどう「満足」したのかさっぱりわかりません。

http://www.b92.net/eng/news/politics-article.php?yyyy=2013&mm=01&dd=31&nav_id=84432


さて、コソヴォのアルバニア人ですが、気になることが一つ。

彼らは、というか過激主義者たちは「コソヴォ」ではなく「ダルダニア(Dardania)」の名称を好んで使う傾向があります。

「ダルダニア」とはローマ時代の属州の名称で、アルバニア人が祖先と目するイリュリア人のダルダニ族がその名のもとになっています。

これは「コソヴォ」はセルビア語であること、またコソヴォのままだとコソヴォ周辺のアルバニア人居住区(セルビア本体)を含められなくなること、が考えられます。

アルバニア人に言わせると当時の「ダルダニア」は上記のプレシェヴォなどセルビア本体のアルバニア人居住区をも抱合することになるといいます。

そして、私が考える三つ目の理由は、コソヴォの先住民はイリュリア人の子孫であるアルバニア人であると主張できることです。

セルビア人はコソヴォはセルビアの揺籃の地であり、アルバニア人は後から入ってきた簒奪者と言いますが、先住民イリュリア人を持ってくればセルビア人の主張を根底から覆すことができます。


現国連総会議長、前セルビア外務省のヴーク・イェレミッチは今回も気を吐いているようですね。

「コソヴォは国連加盟には程遠い」
http://www.b92.net/eng/news/politics-article.php?yyyy=2013&mm=01&dd=31&nav_id=84439


それでは、Dobrou noc! Na shledanou!

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コソヴォ、見切り発車か

anica1


Picka ti materina!

アーニツァだ。


相変わらず事態の進展が無い中で、私もうっかりしていたのだが、

トルコがボスニアのNATO加盟を後押しするというニュースをさらっと流してしまったのだが、

スルプスカ共和国のことをすっかり忘れていた…

スルプスカ共和国の大統領ドディクはトルコのこの動きを警戒している。

ここにきてボスニア内でこれ以上スルプスカ共和国とボスニア連邦(ボシュニャク人とクロアチア人)との間の亀裂が広がるのは歓迎しないなぁ。

それにトルコとの関係を深めることでボスニア連邦内のクロアチア人が懸念を抱くことも警戒すべきことだ。


さて、コソヴォだ。

相変わらずだ。

正直書くことはあまりないのだが、若干目に付いたことのみ挙げておく。

KFORはコソヴォに展開している人員の増派を決定した。

コソヴォは、セルビア人地域である北部コソヴォを除いた状態で独立国としての体裁を最終的に整える構えだがそれがうまくいくかどうか。


ロシアはセルビアよりの立場でこの問題にいっそう首を突っ込む構えだ。

パイプラインの南ストリームといいロシアの影響力がバルカンにより浸透することが予想される。

EUの影響力が弱まる中でのこの動きだけに、中央アジア、コーカサスで行われていた西側とロシアとの地政学的角逐がバルカンにまた戻ることも予想される。

ただ西側はロシアと対立する理由は今のところ見当たらないし、中東情勢の不安定化もあるから少なくとも紛争をめぐって協調できた1999年あたりの状態には戻るんじゃないかな。

ちなみに、セルビアで行われた直近のアンケートではNATO加盟に賛成は過半数を割り、EU加盟賛成と反対は半々だった(すまんこれについてのリンクを無くした)

あとこんなニュースもあるが、まあ問題にはならんだろう。

ヴォイヴォディナ自治州は前にも書いたとおり、ハンガリー系が多いものの少数民族の数が多すぎてコソヴォのようにはなりにくいと思われる。

ヴォイヴォディナの農民「新しい政府のもとでの解決図る」


それでは、Laku noc i Do vidjenja!


ロシア、北コーカサス、中央アジアについてはここだ  http://belaoluja.blog.fc2.com/

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プロフィール

crnaoluja

Author:crnaoluja
こんにちは。
東欧地域の戦略環境分析が専門のシンクタンクで研究員をしておりますチェコ出身のエリシュカ・マジャーコヴァーと申します。

ネクロマンサーのすぴか、その一味のミルチャ・アントネスクとともに東欧情勢について御説明していきたいと思います。

ハンガリー以北(V4)+バルト三国は私、南東欧がミルチャ、地政学・戦略論など理論面はすぴかが担当致します。

文責は @crnaoluja (twitter)

ミルチャのアイコン絵はあんねこ先生より頂きました。
http://a-n-neko.tumblr.com/

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